<ネパール復興支援野球大会>

ネパール復興支援野球大会

開催までの経緯

地震発生前、当会では2015年4月26日から重田大輝氏を現地野球指導員として派遣する予定で準備を進めており、派遣を翌日に控えた4月25日には、神社で安全祈願を行いました。当会が地震の第一報を受けたのは神社を出たすぐ後でした。その後、徐々に現地では甚大な被害が出ていることが伝わってまいりました。このような状況の中、指導員の派遣も当面見合わせることといたしました。

地震発生から約10日後、当会の小林理事長と鈴木事務局長はネパールへ赴き、カトマンズ、バクタプル、ポカラで現地調査を行いました。カトマンズ市内は、各所で建物の崩壊が見られ、多くの人がテント生活をしておりました。また、ポカラでは目立った被害はございませんでした。最も被害が大きかったのはバクタプルで、無傷な建物を探すのが難しい状況でございました。また、両名のネパール滞在中にも多数の余震が発生しておりました。

地震発生後、当会ではネパール復興支援のための募金活動を開始いたしました。現地調査を行う一方で、お預かりした募金の一部で、屋根に使うトタン板など緊急で必要な支援物資を購入し、バクタプルで被災した野球少年たちの家族などに手渡しました。

バクタプルで驚いたことは、被災した子どもたちが地震の2日後から野球の練習を再開していたことでした。現地では野球が子どもたちの心の支えとなっていました。そのような状況の中、現地からの要請も有り、12月に「ネパール復興支援野球大会」を開催することといたしました。

「ネパール復興支援野球大会」の準備を進めている中、2015年9月にネパールで新憲法が公布されました。これに対し、反対派住民が様々な抗議活動を展開。その一環としてインドとの国境を封鎖しました。ネパールでは多くの物資をインドからの輸入に頼っているため、物資の不足から物価が高騰し、ネパールの市民生活が大混乱しました。このような状況の中で、日本大使館からの助言も有り、子どもたちを一カ所に集めて野球大会を開催することは困難であると判断し、大会の延期を決定いたしました。しかしながら、大会を楽しみにしていた野球少年たちのことを考え、12月にバクタプルとパタンの親善試合を行うとともに、バクタプルの家庭や学校に冬を越すために必要な支援物資を手渡しました。

その後、2016年に入り、2月にインドとの国境封鎖が解除され、市民生活の混乱も徐々に収まってまいりました。当会では、復興支援野球大会の開催は可能と判断し、大会を震災から1年後にあたる4月23日から25日に開催することといたしました。それから、イッソー・タパ氏やネパール野球ソフトボール協会とも協力しながら大会の準備に奔走し、無事に大会を開催することができました。